純エゴSS『ハッピー・バレンタイン！』

玄関のドアが開く音と、「ただいま」という声がした。
それと同時に、ガサガサと何かを床に置いた音も。
何か荷物があるのなら運ぶのを手伝おうと玄関に向かった。

「おかえりなさい」
部屋に上がって来たヒロさんの右手にはいつも仕事に行く時に使っている鞄。そして左手には、小さめな紙袋が数個。古本屋巡りをして帰って来た時は大荷物を抱えて帰ってくる事もあるけど、今持っている紙袋に本は入っていないようだ。カラフルで小ぶりな袋を見て、ヒロさんが持ち帰って来た物に見当をつける。バレンタインデーのチョコレートだ。
「今年は大量ですね」
去年も学生達から押し付けられたと言っていくつか持ち帰って来ていたけど、今年はその倍はあるんじゃないだろうか。
「それだけ試験を悲観してるヤツが多いんだろ」
さほど興味なさそうなヒロさんは、鞄と紙袋を無造作にソファに置く。ヒロさん曰く、チョコレートは試験成績のお目こぼしを願う学生達からの賄賂のような物らしい。

でも、本当にそれだけだろうか。
大学の助教授としてのヒロさんが学生達に“鬼の上條”と呼ばれ、恐れられているのは知っている。そんなヒロさんにチョコレートを渡す事で試験を甘くしてくれると本気で思っているとは思えない。となると、やっぱりヒロさん自身に好意を抱いてチョコレートを渡しているんじゃないだろうか…と考えると心配になってくる。研究に打ち込むヒロさんの姿はかっこいいし、読書に集中する姿は本当に綺麗だ。ヒロさんは無防備だから、それに気付く学生がいたとしてもおかしくない。

「お前の方がすごい量じゃないか」
当の本人はコートを脱ぎながら、同じようにソファに置いてある、俺が持ち帰ったチョコレート入り紙袋を覗き込んでいる。
（俺がチョコレートを貰ってきても気にならないのかな…）
俺は、ヒロさんが持って帰って来たチョコレートに嫉妬している。学生からだとか義理だとか頭では理解しているつもりでも、気にしないではいられない。そんな自分が子供じみていて嫌だ。

それよりも、と暗くなりがちな考えを追い払うように思考を違う方向に持って行く。
今年はヒロさんからチョコレート貰えるだろうか？何年も付き合って来て初めて貰った去年は、無理矢理もらったようなものだったから、今年はもらえないような気がする。
……ヒロさんが貰って来たチョコレートとは別の事を考えようとしたのに余計凹んでしまった…。

「何ボーっとしてんだ。大丈夫か？」
「…あ、はい。すみません」
ヒロさんの声がして我に返る。考え事をしてつい沈んでしまった。
「メシ、まだだろ？着替えて来るから」
鞄と自分が持ち帰った紙袋を持って自室に向かううヒロさんが心なしか早足なのは気のせいだろうか。

コトン、と音がする。
俺が持ち帰った紙袋の一番上に不安定に乗っていた小さな箱が落ちた音だ。
「あれ…。これ、俺のじゃありません。ヒロさんが貰った物じゃないですか？」
拾ってみたけど、見覚えのない箱。そもそも、袋から落ちるようなところにチョコレートは入っていなかったはずだ。だから、これはきっとヒロさんが貰った物が何かの弾みで落ちてしまったんだろう。

「………やる」
「え！駄目ですよ！ヒロさん宛の物を俺が食べるわけにはいきません」
チョコレートに対して複雑な思いはあるけど、それとこれとは話が別だ。
返そうと箱を差し出しても、ヒロさんは背中を向けたまま受け取ってくれない。
「違う」
「？？」
「…俺がやるって言ってんだ！いらねーなら返せ！！」

そこまで言われてやっと気付く。
もしかしてこれって…。
「ヒロさんから…俺に…？」
「いちいち確認すんなっ！」
思わずヒロさんの背中とチョコレートを交互に眺めて確認してしまう。
怒鳴るヒロさんの顔は見えないけど、きっと真っ赤になっているんだと思う。

そんなヒロさんが可愛くて仕方なくて、今年もチョコレートをくれた事が本当に嬉しくて、小さな事を気にして嫉妬していた自分のガキっぽさに呆れて…。
色々な感情が溢れ出す中で思うのは、やっぱりヒロさんには敵わないという事と、ヒロさんが大好きなんだという事。

「ありがとうございます！」
嬉しさの余りヒロさんに飛びついたら勢い余って一緒に倒れ込んでしまった。
「あぶねーだろ！？」
「だって嬉しくて…」
振り向いたヒロさんの顔は思っていた以上に赤くなっている。
「この俺がチョコレートくれてやったんだ。ホワイトデーには三倍返しだからな！」
「はい！頑張ります！」

でも多分、この嬉しい気持ちを伝えるには三倍じゃ全然足りないと思った。


Fin.